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もしも「制作ノート」愛用中なら、「アトリエ」はいかがですか? #-やり×娘(仮)-

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No.1/foriioによってできるようになったこと。

どうも、東雲です。
ようやくにして アトリエ 作りおえた~ と思ったら、
「あ、でもちょっと待てよ。。。 これをするともっと良くなるんじゃないかしら」と悪魔のささやきが続き、改善に次ぐ改善。

「サイト改善の無限デスマーチ」から帰還したところの東雲です。

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さて、今日はタイトルにある通り、foriioによってできるようになったこと。を語っていきたいと思います。

みなさんはforiio触ってみたでしょうか。たしか開始して1ヶ月も経ってないくらいだよね。

物語に1話2話...と話数があるように、「制作過程にも」1話2話...と続けてお話ができちゃうサービスで、すごくいいと思います!

実はこの「制作過程にもお話」、待ちに待ち過ぎ、一人黙々と自作していた機能でして、どうやってもこの世に誕生させなくてはいけないものだったんです。
#絵も書かずに #2020年からコツコツ #notion

ほら、ひと昔前に、SNSが普及して「誰もが発信する ”1億総クリエイター時代”」と言われてましたよね。
つまり、誰もが作り手となれたわけです。
誰かの作品に憧れて、みんな「いっしょになって作れる」時代になったんです。

にもかかわらず、残念なことに、憧れは憧れでしかなく「憧れた衝動を吐き出す窓口(SNS)」が現れただけで、『その人になれる(近づける)もの』ではなかったんです。

もちろん昔からあった同人活動とその二次創作は、あまりに分厚くてアツい層で、個人個人によるものすごい数の実験公開が行われた末、ものすごいモノが生まれたりしたことはありました。
でも近年、SNSにおいては「実験の幅」が狭すぎるために均一化してしまって、後世に続くものが生まれない日々が続いています。
#僕たちは悪くない #窓口が狭いのよ

そう。もっとSNS空間が自由だったらいいんですけど、テキストデータと画像データと動画データしかやり取りできない状況では仕方がないんだと思います。
だけどこのままじゃ「均一」。「均一」だけの状態が進むのみ。

だから、”制作過程にも 1話2話...と続けられる”サービスは、「近づく」のにすごくいいんです。
各工程を詳細に語られて、そのときの状況を鮮明に知ることができて、「追体験」できてしまうって良さげな感じしませんか。
追体験で「一緒になること」はもうできるんです。
画像データや動画データで補足しながら、テキストデータでギュッと濃縮して文章にしてしまえば追体験。

同時に、工程が語れることでノウハウの底上げが行われる。
これは中々に優秀だと思います。

#文章偉大 #工程が物語になるの偉大 #foriio偉大

加えて個人的にももっと良くないなぁと思ってて、それは、
作り手として僕は「みんなといっしょになって作りたい」のに、みんな「近づけない」ということ。 #いっしょに作ると言ってくれていたのに

みんな優しいから「やる」と言ってくれるんです。
見てくれて、応援してくれて、更には一緒になにかできないかまで考えてくれる。
それは、作品投稿して平然と無視されスルーされていく中で、足を止めてくださる方で、こちらが思っている以上に寄り添ってくれる方だったりします。

foriioを利用している皆さんも、ご自身の作品を通してそのように「仲良くなったこと」とかあるのではないでしょうか。

僕もそうなのですが、そのとき、その人たちに、むやみに「(一緒に)やる」と言わせてしまったことがありました。
足を止めてくれたことが嬉しいあまり、僕の方から歩み寄りたくなって、「意気投合」なのか「共感のゴリ押し」なのかそれくらいの勢いで、「なにかやろう」という話にしちゃうんです。#ごめんなさい

これ。一緒に活動するのって「1の成果だったものが5になる」のチャンスだったりするんですけど、お互いの時間を奪い始めて「0になる」こともあるんです。
最悪の結末だと、「自分で自分を完結させられない、ふわっとした部分」。”依存”と言われるものが生じて、これまで持ち合わせていた冷静さとか合理性とか失って「マイナス」になることもあります。

少し、怖い話をしちゃったかもしれませんね。すみません。
でも、そんな、「やろう」「やる」の話に、冷静さと合理性を与えて、安心させてくれるものこそが、foriioの「工程語り」だったりするわけです。

「工程を語る」ことで、作り手側は、言語化されて”語れる部分”を人に任せることができる。
「工程を語る」ことで、受け手側は、”何ならやれそうか”最初から分かることができる。
そして「最初から」というのがミソで、お互い使う言葉が出来上がってる分、少ないやり取りで済むから「時間を奪わない」。
加えて「意気投合」なんぞ「共感のゴリ押し」なんぞ必要とせず、「工程語りされた内容」をレゴブロックのように組み合わせるだけなので、冷静かつ合理的に物事が進むようになる。

それほどまでに「工程を語る」ことは重要で、どうやってもこの世に誕生させなくてはいけないものだったわけです!

これは「憧れ」が「経済圏」になるほどのお話とも言えるわけですが。
もちろん完璧ではないです。
「近づくほどに憧れることができるか」ということを突きつける行為になってしまうので、夢を語るなら「工程」なんていらないかもしれないです。

ちょっと話がずれちゃいますけど、
はじめてスマートフォンを触った頃は、どういう仕組みか画面上に世界が広がる「魔法みたいな」体験をしたと思います。
それが慣れ親しんで大体の仕様が分かると、「魔法感」はなくなり「日常の一部」になっているわけで、仕組みがわからない頃の方が、魔法のように感じられるものです。

つまり夢に浸りたい人にとって、”工程語り”は「魔法が解けてしまうので邪魔」でしかなく、さっさと続きを作った方がいい場合もあるのかもしれません。

なので、「憧れ」と「夢」。2つは切り離してどちらを扱うのか踏まえておくと良いかもしれませんね!

最後になりますが、今日はすみません。謝らなければならないことがあります。

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すみません、書きすぎました。
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普段はこんなに書かないんです。
あまり書きたくないんです。

言葉は凶器と言われるように『人を傷つける』わけで、
「語る」ということは「語られる」わけで、『自分に跳ね返ってくる』わけで、
傷を見るのはあまり得意じゃないので... 
#痛みに弱い

なので、間に「物語」を入れて「作品」を通して、伝えようとしているわけなので、
#作品ならいくらでもエグい展開やるよ #やれるよ

普段はあんまり書きたくなかったりします。

なので、次に制作ノートを読むときには「文量少な」と感じさせてしまうと思います。

なので、すみません。
たぶん(僕にしては)書きすぎました...。

今回、-やり×娘(仮)- を完成させる「サイト改善の無限デスマーチ」中、工程語りせずに今日まで溜め込んでたせいかな?
それもあって「超」がつくほど文章書くの気持ちよかったけどもっ! (開放感はすごいです)

そして、本当に最後になりますが、ここまでついてきてくださってありがとうございました。 (何度もm(_ _)mペコリ)

そしてそして、私事ですが”この先”をブックマークしていただけると「一発で」全てにアクセスできるようになるので、ぜひ!
 この先:東雲○○。roots√

そしてそしてそして、ようやく「何かしら制作して、発信」することができると思うので、これからよろしくね!

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