Facebook キャラデザ 水野忠徳と養父・忠長
Logo

キャラデザ 水野忠徳と養父・忠長

クレジット
Avatar
イラストレーター
小説家
漫画家
キャラデザ 水野忠徳と養父・忠長-1
シェア
制作ノート
幕末アウトロー侍にみる出世の極意

水野忠徳のキャラクターイメージを固めるため、資料調査をもとに本人の語り口調を想像した原案小説を書きました。
表現は創作としてアレンジしていますが、内容は史実上の逸話や人物評を参考にしています。

水野忠徳という人物の癖の強さ、出世への執念、鋼のメンタルが伝わるよう、少しコミカルな語り口でまとめています。



------------------

わしの名は水野忠徳。
作者の横着のせいで、わしの輝かしい経歴に一切触れぬのは嘆かわしいゆえ、念のためここに記載しておこう。

○簡易年表(※興味があればどうぞ)
・1810年 旗本諏訪家の次男として生まれる(1815年説もあり)
・1822年 500石旗本・水野家の養子となる
・1836年 西丸小姓組番士に任じられるがほぼ出勤せず賄賂工作に励む
・1853年 賄賂で取り立てられ実力で伸し上がり、ついに長崎奉行を拝命 海軍創設に助力
・1854年 勘定奉行を拝命
・1857年 勘定奉行兼長崎奉行として外国との折衝にあたる
・1857年 田村家家老に左遷
・1858年 外国奉行を拝命し、安政の五か国条約に尽力。神奈川奉行も兼任し、横浜開港と通貨問題に取り組む
・1859年 西丸留守居に左遷されるが、「屏風水野」として影ながら暗躍
・1861年 外国奉行に復帰 小笠原諸島を調査する
・1862年 箱館奉行を拝命するが、辞退して隠居
・1863年 隠居の身ながら裏で上京クーデターを画策するもならず完全隠居
・1868年 鳥羽伏見後、抗戦継続を主張するも受け入れられず失意の憤死(享年59)

わしはこのように出世と左遷を繰り返した。

というのも、わしがあまりにも有能すぎるため、左遷されても『屏風水野(屏風に隠れて裏で指示していた)』と綽名され、影の実力者として君臨していたのだ。

さて、今回はそんなわしに仕事のお悩み相談のお便りが届いておる。なになに、東京都にお住まいのAさんからのお悩み…

『はじめまして!僕は社会人5年目の会社員です。就職氷河期のご時世に何とか今の会社に入れたものの、5年経っても全く給料は上がらず出世できないんです!
僕は出世するために、誰よりも早く会社に来て、一番遅くまで会社に残って働いてます。今まで無遅刻無欠勤です。直属の上司に気に入ってもらおうと、いつも笑顔で挨拶してお世辞も欠かさず飲み会にも付き合ってます。
それなのに……なぜ僕はいつまでも平社員なのでしょうか?教えて水野忠徳さん!
BY令和の会社員Aより』

ふむふむ、なるほどのぅ…。200年後の未来でも、若者は出世のために汲々としておるようだな。よろしい!わしが大成功した出世の極意を伝授してやろう。

まずわしの身の上を話すぞ。わしは武家の生まれで、500石の旗本・水野家に養子入りしたが、500石なんぞは旗本としてはパッとしない。

加えて養父の水野忠長が、どうしようもない飲んだくれ親父で、毎日ふらふらと遊び歩いては借金をこさえる始末。そんな義父の尻ぬぐいで、わしはその日食う物にも事欠き、まこと赤貧な暮らしを送ったものだ。

ま、そのおかげで、わしは武士に似つかぬ経済感覚を身につけた。勘定奉行にまで出世するのだから、世の中どう転ぶかわからんわい。もしわしが凡庸であれば、一生うだつの上がらぬ貧乏旗本で終わっていただろうな。

だが、わしは何としてもこの貧乏暮らしから抜け出し、出世をして幕府のために力を振るいたかった!どんな手を使ってでも出世してやろうと思ったのだ!!

そこでわしが行ったことは何だと思う?おぬしには特別に出世の極意を語って聞かせよう。

まず、一般的な旗本の就職活動はどのようなものだと思う?権門に出入りして顔を見知ってもらいお取立て待つことだ。現代でいうなら、おぬしのように上司に愛想をふりまくことだな。

だがわしは、そのようなことは一切せず独自な方法を講じた。
そもそも出世をする評価基準は何なのか?
おぬしはそこの所を真剣に考えたことがあるか?
人事査定はどうなっておる??

上司に愛想をふりまけば出世するというなら、おぬしの作戦でも良いだろうが、どうせその上司は人事権など握っておらんだろう。

わしの頃はな、出世するには『一に賄賂、二に賄賂、三四がなくて五に賄賂』という腐りきった社会だったのだ。

それを「けしからん!」と憤っていても仕方がない。わしは賄賂の資金を貯めるため、必死に内職に励んだ。傘を張り、提灯を張り、せっせと金を貯め、貯まった金を権門への賄賂に全てそそぎこむ。

二度、三度と重ねていくうちに、奇策あやまたずお使番を仰せつけらた。今でいう就職活動に成功したということだ。手ぶらで権門に出入りする輩は、何百回と顔を合わせても何の意味もなかったであろう。

こうして職にありつけたわしだが、所詮まだまだ下っ端役人。出世するためには、これまた賄賂がものをいう。おぬしのように、無遅刻無欠席だの遅くまで仕事してるだの、勤務態度は一切評価されないのでな!

そこでわしは、役人が御役御免(クビ)になる基準を明確に調べた。現代では休職という制度があるようだが、当時の役人も、病欠ならば100日間は出勤せずとも御役御免にならない決まりがあった。

わしはそれを逆手にとり、1日出勤しては、すぐさま病気欠勤のお届をして90日余り休む。また100日が近くなる頃に1日出勤して、すぐさま病気欠勤で90日余り休む。これを幾度となく繰り返したのだ。何?「単なるずる休みの怠け者じゃないか!」だと?

違う!わしはその間もせっせと内職に励んだ。
出勤するための馬や供回りも雇わずに済み、給料もそっくりそのまま頂いた。それで大いに金を貯めこむのに成功したのだ!

親戚や世間は、あれやこれや色々と批難するが、わしは一切耳を貸さず我が道を貫き、もう呆れかえって面と向かって誰も言わぬようになった。影で「あんなことをしていては、いずれはお咎めを受けるであろう」と囁き合っていたようだが、幸いにして何の咎めもなく済んだ。

要は金次第ということだな。
そもそもわしのような有能な男に、お使番など誰がやっても変わらない仕事をさせるほうが損害だろう。

こうしてせっせと(仕事をずる休みして)賄賂に励んだ結果。
『火付盗賊改め』に昇進したのだが、これは実力がものをいうので、わしは今度は勤勉に精励していたところ、仕事ぶりを幕閣に認められてな。
お目付→浦賀奉行→長崎奉行→勘定奉行→外国奉行と要職に抜擢され、栄達を成し遂げたわけだ。

いや~ここに来るまで、ずいぶん横着をしたものだわい。
つまり出世の極意とは…「何が必要なのか見極め、無駄なことはせず、なりふり構わず精進せよ」おぬしもわしを見習って出世に励むとよい。

以上がわしの出世の極意である!
(現代では賄賂工作は一切お勧めできないので真面目に働きましょう)

シェア
墨川朔/歴史クリエイターの他の作品
画像
作品を見る
高遠城落城 ― 諏訪勝左衛門の妻
画像
作品を見る
ご依頼イラスト 馬乗り袴の男性
画像
作品を見る
ご依頼イラスト 着物男性立ち絵
foriio

あなたのforiioを無料で作成

fori.io/
キャラデザ 水野忠徳と養父・忠長-1
墨川朔/歴史クリエイターの他の作品
画像
作品を見る
高遠城落城 ― 諏訪勝左衛門の妻
画像
作品を見る
ご依頼イラスト 馬乗り袴の男性
画像
作品を見る
ご依頼イラスト 着物男性立ち絵
foriio

あなたのforiioを無料で作成

fori.io/