2003年7月22日朝刊
市場の風 稼ぎで評価、貧富拡大(北朝鮮の素顔第3部・経済:1)
平壌市の南にある人口約5万人の大団地「統一通り」に今年、華やかな看板をかけた16軒の焼きイモ売店が誕生した。
開いたのは、平壌市人民奉仕総局のラクヨン合作会社。焼きイモの売店は、夏のアイスクリームと並ぶ平壌の風物詩だが、50代前半の女性社長リ・スニさんは経営にちょっと工夫を加えた。
サツマイモの価格は収穫期の10月はキロ当たり10ウォンだが、春には品薄になるため約6倍になる。
そこでリさんはイモを直接、産地で仕入れ、発泡スチロールの箱に保管した。温度や湿度にも気を使い、春先まで鮮度を保つようにした。焼く時には独特の味と香りが出るよう新しい焼き炉も導入した。コストがかかった分、価格を高めにしたが、飛ぶように売れた。
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北朝鮮は昨年7月、「経済管理改善措置」という改革を始めた。企業の経営には、ある程度の自由が与えられた。国が決めた生産量をどれだけ達成したかではなく、「稼いだ収入」で評価され、労働者は「働いた分だけ受け取る」ことになった。
この会社は、団地の主婦約60人を雇った。売り上げから、国に納める利得金と事業資金を差し引いた残りは、従業員の報酬に回した。主婦たちが手にした月給は5千ウォン。夫たちの平均給与約2千ウォンの倍以上で、韓国の情報によると、北朝鮮の閣僚級の給与4500ウォンも上回る。
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関紙「朝鮮新報」が「女性社長の流通革命論」と報じた。韓国でも「焼きイモで成功したCEO(最高経営責任者)」(聯合ニュース)、「市場経済実験中」(中央日報)と紹介され、一躍有名になった。
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一方で、改革は物価と賃金を大幅に引き上げた。密輸の家電製品やコメなどヤミ商品があふれる「農民市場」の価格に合わせて、商品の国定価格を平均25倍程度に引き上げた。あらゆる職業の賃金も平均約18倍上げた。
昨年7月、北朝鮮西部の港町。倉庫管理員の男性の職場で、上司が賃上げを発表した。
同僚らは「これでメシが食えるようになる」と喜んだが、男性は首をかしげた。「やる仕事もないのに、なぜ給料が上がるのだろう?」
名目給は、120ウォンから1500ウォンへ。だが、新しい月給はもらえなかった。倉庫で管理する物資はなく、成果を上げようもなかったからだ。
給料は出ないまま、物価の高騰が家計を直撃した。4人家族の食費は、月1万3千ウォンに跳ね上がった。妻は毎朝、リヤカーを引いて農村に出かけ、野菜を仕入れて売って歩いた。
妻は、横流しの砂糖をドルを使って売買し、為替差益を稼ぐ商売をしたこともあった。夫の稼ぎの不足を知恵で補って暮らしを立て、2人の子供を育てた。そんな家計は「もう完全に資本主義でした」と振り返る。
昨年秋、一家4人は北朝鮮を脱出した。
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韓国銀行が01年末から02年初めにかけて、脱北者84人を対象に調査したところ、ほとんどの人がヤミ商売に手を染めていた。稼いだ額は年間1千~70万ウォンで、最大700倍の格差があった。
北朝鮮にも、「市場の風」が吹き始め、貧富の格差が広がっている。
韓国の高麗大学の南成旭(ナムソンウク)教授は昨年、賃上げの一覧表を平壌で入手した。目を引いたのは、軍幹部の上げ幅の高さだった。25~31倍のアップ率は、事務員の9倍、医師の12倍、炭鉱労働者の18倍などを引き離していた。
経済難からの脱出はめざすが、軍事優先の国家体制を変えるつもりはない。金正日(キムジョンイル)総書記のそんな意図が読みとれる。
旧ソ連・東欧の崩壊後、世界でほぼ唯一、計画経済体制を維持してきた北朝鮮はいま、建国以来の改革に揺れている。
× × ×
「北朝鮮の素顔・第3部/経済」では、なぞも多く見えにくい北朝鮮経済の様々な側面を、日本や韓国など外からの視点も交えながら紹介する。
(4面に関係記事)
◇日本・韓国・北朝鮮の経済比較
<1>1人当たりの国民総所得(02年)
日本 33,550ドル
韓国 9,930
北朝鮮 762
<2>国内総生産に占める軍事費(01年)
日本 1.0%
韓国 2.7
北朝鮮 11.6
<3>穀物収穫量(01年)
日本 12,254,780トン
韓国 7,905,524
北朝鮮 3,877,704
(出典:<1>日本・韓国は世界銀行、北朝鮮は韓国銀行《推計》<2>ミリタリーバランス2002/03<3>国連資料)
【写真説明】
北朝鮮・興南(フンナム)市郊外で今月11日、農業用貯水池の開設工事の現場で働く人々=ロイター。北朝鮮は昨年7月から経済改革を始めたが、食糧不足は続いている。この現場で働く人々の食糧も、国連が配給している
(写真はAP)
2003年7月23日朝刊
白米の夢 崩壊した主体農法(北朝鮮の素顔 第3部・経済:2)
「金日成(キムイルソン)主席の教示には背けない。稲は20センチ間隔で植えるべきだ」
金成勲(キムソンフン)・元韓国農林相(63)に北朝鮮の農場担当者が食ってかかった。
韓国の非政府組織(NGO)「民族助け合い運動」の一員として昨春に訪朝した時のことだ。00年の南北首脳会談以降、韓国の支援は農業の分野でも活発になっている。
密植による収量減を指摘し、田植えは30センチ間隔にすべきだと主張する金さんに、北朝鮮側は独自の「主体農法」の有効性を譲らなかった。
どちらが効率的か、平壌の農業科学院で実験することになった。結局、秋の実りは、明らかに30センチ間隔の方が良かった。北朝鮮の担当者は黙っていたが、納得した表情を浮かべたという。
北朝鮮の国土は80%が山地だ。故金主席が唱えた主体農法は「適地適作」を強調し、中央が農場ごとに作物や育て方を指示した。「金父子が現地で『こうしろ』と言ったことは、実情に合わなくても絶対変えられない」と金さんは語る。
■ ■
咸鏡北道の協同農場で働き、昨年2月に脱北した男性(34)は、農業の低落を肌で体験した。
「ソ連が傾き、肥料はもう来ない。今後は各自で肥料を作れ」。91年秋、職場の党書記が中央の方針を読み上げた。人や家畜のふんを使っても間に合わなかった。
旧ソ連圏の崩壊は、北朝鮮経済の原料、エネルギー供給を直撃した。男性の農場でも92年から頻繁に停電し、98年には完全に止まった。水をまくための電動ポンプは動かず、脱穀も足踏み式脱穀機と手作業になった。
農場で働き始めた87年に1ヘクタール当たり約6トンとれたトウモロコシは、96年には20分の1になった。国に大半を納めた後に残る取り分は、男性の3人家族の場合、当初の年間700キロから270キロに減った。1人1日、茶わん2杯分だ。
「農民のやる気も、うせた。いくら働いても国に取られ、手元には残らない」。男性は95年から無許可で山を切り開いた畑で精を出し、農場での作業は手を抜いた。
「トウモロコシ博士」と呼ばれ、98年から27回訪朝した韓国の育種学者金順権(キムスンクォン)さん(58)は「農場は疲弊しているのに、個人の畑は生き生きしている。個人の取り分になる田のあぜに育つ大豆は世界一だ」と語る。
■ ■
農業の停滞は配給制の崩壊と国民の死に直結した。北朝鮮北部の都市から昨夏に脱北した50代の女性の家庭では、95年から配給が途絶えた。
「夫の給料が出ず、何も食べるものがなかった。山の草でしのいだが、96年に夫の母が餓死。翌年春には夫も飢え死にした」
98年に脱北した元工場幹部の男性は、日本海側の清津で行き倒れの餓死者を何度も見た。駅の待合室や路上に無造作に死体が転がっていた。
90年代の死者数は今も不明だが、米ワシントンの国際経済研究所のノーランド上級研究員は今月発表した論文「北朝鮮の飢餓と改革」で、60万~100万人と試算した。
北朝鮮に改革の試みがないわけではない。96年から、計画以上の生産があれば農場員が分け合えるようにし、昨年7月の経済改革では、国が買い上げる穀物価格を大幅に上げて、「農民を優遇する原則」(北朝鮮の内部説明資料)を確認した。
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国連によると、今秋までの穀物収穫量は前年度より4・9%増える見通しだが、それでも最低必要量に100万トン足らない。核問題などのあおりで各国の援助も減っている。金成勲さんは今年の訪朝時も、農場に野ざらしにされた数々の壊れたトラクターを目撃した。
「人民に白米のご飯と肉のスープを」。故金主席が演説などで繰り返した夢は、自ら残した主体農法の「くびき」の中で窒息しつつある。
(10面に関係記事)
<品目別内訳(02年)>
(単位千トン)
米 2190
トウモロコシ 1651
小麦 130
その他 210
(国連食糧農業機関〈FAO〉ホームページから)
2003年7月25日朝刊
制裁の影 日朝、細る貿易(北朝鮮の素顔 第3部・経済:3)
高さ80センチの円筒形のカゴにびっしり詰まったベニズワイガニが300トン級の貨物船から下ろされる。船尾には北朝鮮の国旗。15人ほどの乗組員は甲板からじっと地元の荷役業者の作業を見守る。
鳥取県西部の境港市。ベニズワイの「水揚げ日本一」を誇る漁業基地だが、それを支えているのは北朝鮮の存在だ。
昨年は延べ332隻の北朝鮮籍船が入った。通関したベニズワイは9100トンに達し、8900トンだった日本漁船の水揚げを初めて上回った。資源枯渇と日韓暫定水域での激しい競合で日本漁船の水揚げが減り、北朝鮮産の需要を増やした。
境港を拠点にする日本漁船も、6月までに16隻中5隻が北朝鮮海域で入漁料を払って操業した。「日本漁船の水揚げの1割強は、北朝鮮でとれたものだろう」と地元関係者。カニの加工業者は23社あり、「もはや『北朝鮮』抜きに生産ラインは回らない」という。
だが、鳥取・島根両県でつくる境港管理組合は11日、整備不良船の岸壁使用を不許可にできるよう条例を改正した。政府が北朝鮮籍船の検査を強化したのに呼応した。
船舶保険に未加入の船の入港を拒む法案も来年の通常国会に出される見込みだ。境港に昨年入った北朝鮮籍船の保険加入率は3・3%。新法ができれば、地域経済を支える「動脈」は断たれる。
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「中国・丹東港から、日本の船で運んだらどうか」。北朝鮮製スーツを扱っている首都圏が拠点の大手スーパーも、入港拒否に気をもむ。
北朝鮮で紳士用スーツの委託加工を始めたのは約5年前。専門商社を通じて生地を送り、平壌の工場で縫製して北朝鮮の船で持ち帰る。
「輸入衣料品の9割を占める中国製に比べれば少量だが、日本製の生地で安く、いいものができる。生産地を分散して、リスクを減らす意味もある」(仕入れ担当者)
しかし、昨年9月の日朝首脳会談後は、取引の自粛が広がっている。ある衣料量販店は「拉致問題などもあり、中止が賢明と判断した」。工業製品についても大量破壊兵器の開発につながる恐れのある品目の輸出規制が4月から強化された。
北朝鮮にとって、日本は中国、韓国に次ぐ貿易相手国だ。日本の統計によると、昨年の北朝鮮からの輸入は294億円で、ピークだった90年の3分の2になった。輸出も急減し、今年5月分は1年前の半分だ。
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「物価が上がって、どうにもならない。助けてくれ」。今年3月、西日本在住の60歳代の男性に北朝鮮西部に住む兄から国際電話が入った。
男性は、帰還事業で北朝鮮に渡った兄弟4人に郵便で仕送りを続けてきた。昨年7月の北朝鮮の経済改革以降も130万円を送った。以前は、新潟港に入る北朝鮮の貨客船・万景峰(マンギョンボン)号に、約200万円を持って乗り込んだこともあった。
東京都内の60歳代の女性は60年代後半の夏の日のことが忘れられない。在日朝鮮人1世の祖母がホテルの一室で「北朝鮮から来た視察団の団長」と称する男に、現金1千万円を渡す場面に立ち会った。「祖母は愛国心が強く、寄付の求めを断れなかったようです」
在日朝鮮人の世代交代に伴い、寄付や送金は減っているといわれる。
財務省によると、02年度の北朝鮮への送金は、3億7千万円。旅行者による現金持ち出しは35億9千万円だった。そのほか香港など第三国経由の送金も多いとされるが、拉致や核開発への制裁として、送金停止を求める声が高まっている。
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「近くて遠い国というのは前世紀の古い言葉にしたい」。金正日(キムジョンイル)総書記は昨秋、小泉首相にそう語った。しかし、その言葉とは裏腹に、両国を結ぶマネーと貿易の細いパイプは一層しぼんでいこうとしている。
■北朝鮮からの主な輸入品(02年)
(単位:百万円)
アサリ・シジミ・ハマグリ 6666
紳士用スーツ類 5243
鉱物・卑金属 3926
カニ 3857
マツタケ 1894
電気機器・部品 1666
ウニ 1528
その他 4622
(財務省貿易統計から)
2003年7月27日朝刊
民族共助 支援の裏の思惑(北朝鮮の素顔 第3部・経済:4)
「食糧が足りない。民族愛で助けてほしい」
ことし5月、平壌で開かれた第5回南北経済協力推進委員会。核開発問題をめぐり激しい言葉で韓国を非難した北朝鮮側代表団が、支援を請う場面では声色を弱めた。
前年と同じ国産米40万トンの借款支援で合意したが、韓国側関係者の胸には小さな驚きが残った。
「あんなに丁重で率直な頼み方。数年前なら考えられなかったことだ」
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北朝鮮にも、かつてはライバル意識が強烈にあった。84年には、水害に見舞われた韓国に食糧を贈ったこともある。経済危機に陥り、95年に初めて韓国からコメ15万トンの支援を受けた際も、その輸送船をスパイ容疑で抑留した。その後も支援物資から韓国産表示を消すよう求めるなど、メンツにこだわった。
00年に実現した南北首脳会談を境に、北の態度が変わったと韓国側は見る。今や「大韓民国」のハングル表示にも抵抗を見せていない。「体面よりまずは食糧」(統一省関係者)と映る。
統一省によると昨年、韓国からはコメ40万トンのほか、トウモロコシ10万トン、肥料30万トンなど、政府、民間合わせて1億3492万ドル分の人道支援が入った。中国の支援額は不明だが、韓国を除く国際社会の総支援額が2億5727万ドルだったのと比べると、かなりの比重だ。南北貿易も昨年は6億4千万ドルに達し、日朝貿易額を上回った。
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だが、支援の裏には、韓国側が抱く民族愛を利用し、「取れるものは取る」という北朝鮮の生き残り戦術がにじむ。
「支援米は一般国民には行かない。多くは軍、党関係に回る」。複数の脱北者が指摘する。軍を体制の支えとする金正日(キムジョンイル)総書記の「先軍政治」では、食糧供給でも軍が最優先されるからだ。
北朝鮮東部にある軍直轄工場で中堅幹部として働き、今年、韓国に亡命した50代の男性によると、やり方はこうだ。
「韓国から支援米が来る」。昨秋、韓国船が港に着く数日前に、地元の食糧行政機関から連絡が入った。同僚と軍用トラックで港に向かった。港の手前で一般車用のナンバープレートに取り換え、港で物資を積み込んだ。
別の男性(36)は、清津港でナンバーを偽装した軍用トラックが韓国や米国の支援物資を積み込むのを何度も目撃した。ヤミ商売の30代の男性は興南港で国連の支援米を買い取り、転売して2万ウォン稼いだ、と話した。
昨年も韓国米をたくさん食べたという軍工場の元中堅幹部は昨秋、約200人が集まった職場学習会で、責任書記がこう話したのを覚えている。「外国から来るコメは戦利品だ。金正日将軍様が偉大だから、しっぽを振って貢ぎに来るのだ」
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北朝鮮への圧力を強める米国は、支援金や物資の軍事利用を警戒する。韓国では金大中(キムデジュン)政権時の南北首脳会談の前に、北朝鮮に多額の現金が送られたことが発覚。盧武鉉(ノムヒョン)政権は5月のコメ支援合意の際、北朝鮮の国民に分配されているか、韓国当局が見極める調査の強化を条件に付けた。
米国からの風圧を受けても支援にこだわる韓国にも、民族愛だけではない戦略がある。
政府関係者はこう語った。「今、北が崩壊したら、韓国も共倒れする。支援を続けて北の経済を『管理』し、徐々に変化を促して国際社会に関与させる。そうすれば将来の統一の負担も減る」
北の経済はもう韓国なしでは立ちいかない――そんな自負心が韓国側にはある。今年の韓国支援米第1陣の3千トンは、今月5日、北朝鮮の南浦港に到着した。
2003年7月28日朝刊
外貨稼ぎ 党のため麻薬さえ(北朝鮮の素顔 第3部・経済:5)
「真っ白というより、少し黄ばんだ感じの粉だった」。90年代後半、朝鮮労働党の機関で貿易の仕事をしていたという男性は、職場で見たヘロインをそう表現した。
商標のない半透明のポリ袋で1キロずつ包まれ、かばんに入れてロッカーに保管してあった。「ペクトラジ(白いキキョウ)」と呼ばれていた。
同僚から、中国の朝鮮族を相手に年間数十キロ売ったと聞いた。1キロ1万ドル(約118万円)。中朝国境の穏城(オンソン)や恵山(ヘサン)から持ち出したらしい。
男性も中国へ出張した際、少量のサンプルを本に挟んで持ち歩いた。「党の資金を稼ぐためには、麻薬取引も許された。罪の意識はなかった」
韓国の国家情報院などによると、ヘロインの原料となるケシは、主に北朝鮮北部の山間地で栽培されてきた。90年代に栽培面積が拡大され、95年は8千ヘクタール。さらに、「近年は覚せい剤の製造に比重が移っているようだ」と分析する。
日本の警察庁によると、98~02年の間に日本で大量押収された覚せい剤の35%は北朝鮮ルートだった。
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北東部の港町・清津(チョンジン)の南に七宝山(チルポサン)がそびえる。農場員だった20代の男性は、毎年夏、標高659メートルの山腹でテントを張って2カ月過ごした。マツタケ狩りの動員だ。
マツタケは日本への輸出用だった。約30人の班のノルマは、2カ月で200~300キロ。山中の仮設小屋に集められ、軽トラックでその日のうちに港へ運ばれた。他の人より収穫が少ないと、「党への忠誠心が足りない」と批判された。
北朝鮮の外貨不足が深刻になったのも、旧ソ連の崩壊からだ。韓国の統計によると、北朝鮮の輸出額は90年の17億ドルが翌年9億ドルに激減。物々交換を中心にした旧社会主義圏の貿易体制が崩れ、ハードカレンシー(交換可能通貨)決済にされ、一気に苦しくなった。
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もっとも、外貨稼ぎは国民自らが食べていく手段でもある。ソウルに住む元北朝鮮外交官は、あるアジアの大使館で行われた「運び屋」の実態を語った。
大使館員が、現地商人から大量のドルが詰まったかばんを預かって飛行機に乗り、目的地で商人に渡す。商人にとっては持ち出し制限額以上のドルを国外に運べる。一度に3千ドル以上の報酬がもらえたという。
建物の維持や職員給与など、この大使館では年間10万ドルが必要だった。平壌からの送金は2万~3万ドル。「不足分を補うにはこれしかなかった」
40代の元漁船船長は、黄海でワタリガニを取って中国の丹東近くの港に密輸していた。
一度の漁で水揚げは200キロほど。最盛期では2千ドル分になったが、現金ではなく約5トンのコメで受け取った。母港に持ち帰ると、利益を大きくするために同僚が薬草と交換して中国で売った。
町では95年以降、国からの食糧配給が途絶えていた。だが、元船長は1日700グラムの雑穀を食べられたという。
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北朝鮮の主要な外貨獲得源とみられる麻薬と武器に、最近、米国主導の圧力が強まっている。
昨年12月、スカッド・ミサイルを積んだ北朝鮮貨物船が、イエメン沖で米軍とスペイン軍に臨検された。今年4月にはオーストラリアで、100キロを超すヘロインを密輸した疑いで北朝鮮の貨物船が拿捕(だほ)された。
豪政府はその後、貨物船乗組員の1人が「労働党幹部であることが判明した」と発表した。
「北朝鮮当局が関与したのか」。地元テレビ記者が北朝鮮のチョン・ジェホン駐豪大使に質問した。大使は「ノー」とだけ答え、足早に車に乗り込んだ。
◆1998~2002年の覚せい剤大量押収事件(1キログラム以上)におけるルート別割合
北朝鮮 1466.8キログラム
中国 1297.7
香港 858.2
その他・不明 639.5
◆北朝鮮ルートと見られる主な覚せい剤押収事件
年.月 押収量
福岡沖 ’02. 1 151キログラム
鹿児島・黒瀬海岸 ’99.10 565キログラム
宮崎・細島 ’97. 4 59キログラム
高知沖 ’98. 8 203キログラム
島根・温泉津 ’00. 2 249キログラム
鳥取・境港 ’99. 4 100キログラム
2003年7月29日朝刊
対外開放 外資誘致に体制の壁(北朝鮮の素顔 第3部・経済:6)
民族衣装をまとった北朝鮮の男女が、太鼓をたたきながら踊る。5色の煙が空高く立ち上る。
北朝鮮の開城(ケソン)市郊外。6月30日、「開城工業団地」の着工を南北の人々が祝った。
韓国企業「現代峨山」などが開発を手がけ、国外からの投資を呼びかける。合意から3年。同社の河成徳(ハソンドク)常務は、ほっとした表情で語った。
「北朝鮮は変わりつつある。少なくとも『四隅の特区』では必死だ」
北朝鮮は84年から、外国の投資を認めた。91年末に羅先(ラソン)(当時は羅津・先鋒)を初の経済特区に指定し、02年以降に新義州(シニジュ)、金剛山(クムガンサン)、開城も特区とした。固く閉ざしていた経済の門戸を少しだけ開いた。
だが、「自由経済貿易地帯」とされた羅先の敷地には、住民の出入りを防ぐために鉄条網が張り巡らされた。その後、名称から「自由」も削られた。「四隅」といわれるのは4カ所とも国土の端々に置かれたからだ。
「外資が入れば、外国の人や情報も入る。北朝鮮は体制維持に影響することを恐れている」と韓国の研究者はいう。
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「こちらの取り分を1トン当たり3・5ドルから100ドルに上げてほしい」
金剛山でミネラルウオーターの生産事業をしている韓国企業の担当者は一瞬、耳を疑った。
北朝鮮側と合弁企業をつくり、00年春から韓国向けに生産を始めた。ところが、電力供給が不安定で工場は50%しか稼働できず赤字が続き、機械保安の技術者も短期滞在しか許されなかった。
そんなさなかの値上げ要求だった。韓国では流通段階でマージンが生じることが分からず、「韓国側が取りすぎている」というのだ。生産は01年2月に中断し、昨年9月に「20ドル」で妥協した。
羅先の海でホタテ貝の養殖計画を進めていた韓国の商社は、98年末に北朝鮮側から突然、「進出は当面、認めない」と告げられた。詳しい理由は分からないまま、計画は頓挫した。
市場経済への無理解や突然の方針変更。北朝鮮のビジネスにつきまとう「ルール破り」も外資を遠ざけてきた。
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それでも、北朝鮮は投資の呼びかけを世界に広げてきた。特に00年以降はイタリア、英国、ドイツなどと国交を樹立したことで、政府や企業に経済協力を求めてきた。
「こういう機械が必要な工場がある」「信用取引はどこまで可能か」
昨年7月に始まった北朝鮮の経済改革から2カ月後。平壌で開かれたインフラ関連の見本市で、ドイツの変圧関連機器メーカーの担当者は北朝鮮側から質問を受けた。
見本市に参加したのは一昨年以来2度目。前回は発電量や発電機の数を尋ねても「たくさん」としか答えなかった北朝鮮の担当者が、今回は具体的な数字を出した。
「うちの製品がどう使われているのかを、中国で見てきたとも言っていた。1年前には感じられなかった熱意だ」
しかし、昨年10月に核問題が浮上してからは、北朝鮮との取引をためらう企業が増えた。
そこには、米国の影も色濃くある。北朝鮮貿易にかかわるドイツの企業関係者は言う。「90年代の核危機の際、米国の提携先から『北朝鮮との取引中止を』と迫られた企業もあった。米朝対立が悪化すれば、米財界も神経質になり、ドイツ側も腰が引ける。その構図は今も同じだ」
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朝鮮戦争の休戦協定締結から50周年を迎えた27日、労働新聞の社説は対米非難に満ちあふれた。「帝国主義者らは経済的封鎖戦略に執拗(しつよう)にしがみついている」「今こそ戦火の日々の精神で闘争すべき時である」
経済再建のために対外関係改善が迫られる一方、開放が体制に及ぼす影響を恐れる北朝鮮。「体制保証」を求めて振り回す核のカードが、逆に一層自らを窮地に追い込んでも、強硬姿勢が変わる兆しはない。(おわり)